子牛の力!レンネット!



仔牛の力 ―レンネット―

3dman_eu / Pixabay

●ドナドナ

ドナドナという民謡はとても有名です。

ロシアの民謡の一つで仔牛が市場に売られていくという歌詞のものです。

乗っている牛の種類はともかく性別はすべて雄牛です。

実はこの仔牛を乗せていくという歌詞には様々な意味合いがあったのです。

●舞台はロシア

この歌は作詞家のベラルーシ生まれのユダヤ系アメリカ人アーロン・ゼイトリンが歌詞をつくりました。

その曲はウクライナ出身のユダヤ系アメリカ人ショロム・セクンダで、一緒に完成させたものでした。

アーロン・ゼイトリンはゴメリ州で幼少期をすごしていました。 ここはチェルノブイリ原発事故の影響を最も受けた場所ですが、その前は、18から19世紀の大聖堂や教会など歴史的な美術館や、古い聖画像などが保存されている文化的に古い建造物があるところでもありました。

また彼は、リトアニア共和国の首都のヴィリニュスでも過ごし多感な時期を芸術と活気の中で暮らしていたのです。

次に彼が移り住んだところはペルシャ圏のパレスチナです。そこで様々な体験をしたのちに、ソ連のワルシャワに戻ってきたのです。

それから後に1938年、この『ドナドナ』を完成させました

●ベラルーシ

仔牛に成牛、市場と牧場、乳牛と肉牛。それらにまつわる環境下にドナドナの背景はあります。

歌詞の対比としても理解される部分です。

実際に彼が生まれたベラルーシは乳製品産業の都市でもあります。

日本への牛乳などの輸出も多く、一時期は輸出禁止などでていました。

この乳製品は多くは牛乳、そして生クリーム、乳酸菌飲料、練乳といったものでした。

ここで仔牛の話になるのですが、乳牛でも食肉牛でも、雄牛は種牛として確保した後、もし生まれてしまったのでしたならば過剰という扱いになってしまうのです。

管理飼育のためのコストを考えたならば農家や酪農家では負担の何者でもないものつまり邪魔者扱いだったのです。

この負担を軽減させるのには市場に売って食肉にするしかなかったのです。

しかしロシア圏は牛肉の消費がすこぶる低く、ベラルーシにおいては豚か鶏、もしくはシカや羊のほうが需要だったのです。

よって仔牛のオスに関しては行き場のない状態であったともいえます。

実はこの仔牛には最大の利点がありました。 肉は輸出、そして第四の胃袋の抽出です。

●レンネット

凝固剤の一種で強い酵素をもったものです。

チーズ作りにはなくてはならないものです。

フレッシュチーズ、ハードチーズ、白カビでも、ブルーでもまずチーズの原形である固形物のカードを形成させなければなりません。

乳を凝固させるにはこのレンネットの力がどうしても必要なのです。

そして、それを持っているのは仔牛に限られていたのです。

牛をたくさん飼育しているヨーロッパであってもオスの仔牛ばかりが生まれるのではありません。

シーズンにおいては数がたらず、他の地域から輸入しなければならない場合もあるわけです。

仔牛の売買というのはこうした地域を超えた取引があってこそというものでした。

現に1900年代はナチュラルチーズの生産が飛躍的に伸び、レンネットも相当数必要になりました。

半永久的に使えるものではなく消耗品としてレンネットは常にチーズ作りには必要だったのです。

プロセスチーズの完成と、植民地化した土地でのチーズ生産が多くなっていったことによってさらにレンネットの必要性が高まりました。

●人工的なレンネット製造

しかしながら、徐々にこの仔牛を乗せた馬車の数も衰退していくことになります。

アメリカはニューヨーク、ローム出身の酪農家は、1851年には近所の農家から調達した牛乳でチーズづくりを始めた、この流通ラインを確立したおかげで、数十年のちにこのような酪農家の組合は相当数増えていきました。

同時に仔牛のレンネットを使用しない微生物から成分を抽出する化学的研究がなされたのです。

この成功により培養技術が確立されていきます。

第二次世界大戦の頃には工場製のチーズが伝統的な製法でつくられたチーズをはるかに超えてしましました。つまりレンネットの抽出から人工的なレンネットの製造への移行したのでした。

これによりレンネットのためだけに仔牛をトサツするのではなく、仔牛は食用や牧場拡大への架け橋として命あるまま利用価値を増やす道へと進んでいったのです。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする