コホートの雑学



古代ローマと軍制

古代ローマとは、王政ロ一マ、共和制ローマ、および西ローマ帝国滅亡までの帝政ローマを指しています。

共和制が敷かれた紀元前509年から、カルタゴとの3次にわたるポエニ戦争、4次にわたるマケドニア戦争、ポンペイウス、カエサル、クラッススによる、第一回三頭政治などを経て、紀元前27年にカエサルの養子、オクタウィアヌスがアウグストゥス(尊厳なる者)の称号を受け、事実上の帝政が開始されるまでの期間が共和制ローマ期(古代ローマ共和国)です。

対外征服戦争や反ローマの反乱などに対する軍事活動がつづくが、紀元前1世紀のガイウス・マリウスによるローマ軍の改革により、コホルス則ちコホート(英:cohort、羅:cohors)が登場します。

マリウスの軍制改革の内容は、ひと言で言うと志願兵制度の採用でした。共和制ローマでは、市民権を持つ者の義務として兵役が課せられており、一定の資産を持った市民で、必要な武具も自前で購入する必要がありました。

マリウスの改革により、自前で武具を賄えない貧民階級に対し国が武具を支給し、給料も国が支給することで、ローマ軍は職業兵士で構成されることとなります。

コホルスとは

コホルスとは、共和制後期の古代ローマのローマ軍(陸軍)において、重装歩兵からなるローマ軍団(レギオ)の編成単位で歩兵大隊などと訳されます。

重装歩兵とは、兜、胴、脛当て、盾による重装備の防御を施した歩兵です。通常二本のピルム(投槍)を携行し、これによって敵の隊列を乱し、盾を失わせた後(槍が刺さると、その重みで支えられなくなる)、グラディウス(両刃の剣)あるいはスパタ(長槍)で白兵戦に突入したとされています。

通常、80人のケントゥリア(百人隊、歩兵小隊)の2つからなるマニプルス(歩兵中隊)が3つ、すなわち6つのケントゥリアから構成されるのがコホルス(歩兵大隊)です。

10コホルスから1つのレ野台が構成されていた。各レギオの「第1コホルス」は名誉ある部隊とされ、通常の2倍の兵力からなっていました。

また、1つのコホルスを構成する人員は時代によって変化し、実際には定員割れを起こしていることも多かったらしいです。

PMLASTの疫学事典第3版(日本疫学会訳)では、

COHORTコホート(ラテン語cohors、war-riors戦士群、legion(古代ローマの兵制における3000~6000人の戦闘集団)の10分の1の部隊に由来する)。

と示されています。

百人隊が文字通り100人からなれば1コホルスは6倍の600人です。300人となる計算の根拠は見つけられませんでしたが、いずれにせよ、共和制後期のローマ軍における、数百人規模の重装歩兵大隊が、コホートの名の由来であることが確認できました。

ちなみに、雑学とは「雑多な知識の集合のことで、興味本位で面白さを重視しているため、ひとつひとつは意味的なまとまりをもった知識であるが、集められた知識はお互いに関連性が希薄な事柄で、全体としてみて系統立っていないもの」を指し、まさにコホートの雑学をお示しした次第です。

フラミンガム(心臓)研究は、5209人の健康な男女を参加者として1948年にスタートしましたが、前例がない規模の疫学研究であり「無駄足」と評されていたそうです。初代総括責任者であったDr.ThomasRDawberは、「参加者の時間と態度に敬意を表したこと」が、フラミンガム研究を成功に導いたと述べており、心血管疾患の危険因子の特定に結びつきました。

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